もりのプロフィール

阿字ヶ浦海岸近くの堀出神社

こんにちわ、森智世子(もりちゃん@hosi_nao)です。

今回は【多様性が日常の豊かさとなる世界をつくりたい】という目的にむかって、日々活動している自分のプロフィールをシンプルにまとめてみました!!

ぜひ読んでみてください!!
(2019年8月24日公開)

カンタンなプロフィールと小学生・中学生時代

森智世子プロフ写真

名前:森智世子(もりちよこ@hosi_nao

1973年10月18日千葉県銚子市で生まれ。現在は長女、次女、長男と相方、ねこちゃんとワンちゃんと5人&2匹で、茨城県水戸市に住んでおります。

 

小学校時代は、かなり貧しい家庭でした。貸家のおんぼろアパートで、妹と父母と4人暮らし。ですが千葉県銚子市の自然の中での暮らしは、あんがい豊かな思い出です。その後、茨城県神栖町、大野村、大洋村、旭村と父の仕事の関係で、点々と住居を変えていく。転校生を何度も経験する、小学校、中学校時代を過ごしました。

 

中学入学時の通学鞄は、新品を買ってもらえず、お下がりを使用していたなぁ。という思い出。
今では、もう笑い話ですがw 当時は、結構心に重くのしかかったのを覚えています。

そんな中、中学2年生の時に、56kgあった体重が、急激に体重が37kgまで減少して、拒食症状態になったことがありました。専業主婦で父親のいいなりにならざるを得なかった母。貧しい生活。「母のようになりたくない。」そんな気持ちから、体調を崩し、3カ月間中学校を休学しました。その後、中学3年生なるものの、母が脳内出血で入院。母はその後、何度も入退院を繰り返すこととなりました。

本当は塾に通いたかった高校生時代

高校は、当時の自宅から一番近かったこともあり、茨城県にある鉾田第一高校に進学。働いて少しでも家計を助けたいと、当時は、新聞配達やセブンイレブンでのアルバイトに挑戦しました。新聞配達をしたことは、仕事としてはつらかったけれど、若いうちのよい人生経験になったと思っています。高校時代まではずっと、高校卒業したら就職しようと考えていました。しかし、高校での数学研究室との出会い、当時の担任だった、まこちゃん先生の薦めもあり、進学を決意するも、家計は苦しい。そんな葛藤の中、悶々と過ごした高校時代でした。

 

高校時代、バイトをしながら勉強をする日々。
友達の大半は塾に通っていました。

「ほんとは自分もみなと同じように塾に通いたかった。」
でもこの言葉は、
声にならない声となって
発せられることはありませんでした。

懸命に働く父と母の姿。

 

親の収入によって、塾などの学校外教育を受けることのできる家庭と、学校外教育を受けることができない家庭との間で、機会不平等が生まれている。
引用:「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか
https://toyokeizai.net/articles/-/179582

上記の記事に引用したことが、今も日本の各地で起きています。

親の収入によって、学校外の教育を受ける機会は制限されるということ。

当時、父は色々な職を転々としましたが、トラックの運転手をして毎晩、夜働いていました。
母は、家政婦さん、ゴボウ屋さんなどのパートをいくつか掛け持ちしていました。
働いても働いても楽にならない暮らし

目に焼き付いて離れない、懸命に働く父と母の姿。

自分は、決して親を恨んだりしたことはありませんでした。

でも、このモヤモヤ感はなんだろう。

当時は、そんな想いで一杯でした。

 

バイトにあけくれた大学・大学院生時代! 貸付型奨学金はまぎれもなく借金だ。

その後は、人生の恩人との出会いもあり、ほんとうに運よく茨城大学に進学しました。大学1年生の時の親からの仕送りは、月4万円5千円。大学2年生からは、親からの仕送りなしで奨学金とアルバイトで学費・生活費を、まかないました。

経験したアルバイトは家庭教師、集団塾講師、コンビニ店員、旅館の中居、イベントスタッフ、ラーメン屋店員、居酒屋店員など。

 

いやーいろいろなバイトを経験しました!!

その後も紆余曲折、茨城大学の大学院に進学しましたが、

卒業までに支給された奨学金の総額は
3つの奨学金でなんと
450万円以上。
すべて貸付型でした!

日本育英会第一種奨学金 1,566,000円
日本育英会第二種奨学金 1,992,000円(年利率2.09166666%)
実吉奨学金       1,032,000円

奨学金ほんとうにありがたかった、これがなかったら、
自分が大学生でいることはできなかったと思います。

 

 

 

 

大学院修了後は、水戸市役所に就職。
17年間かけて、この450万円を完済することができました。

返済は本当に大変でしたよ。

とても長かった。
自分の力でこれだけの金額を返せたことは、
自分でもびっくりしています。

 

偶然、市役所という安定し、恵まれた環境に就職できたから、
たまたま返済できたのかもしれません。
奨学金!!!給付型以外は、まぎれもない借金です。

平成18年の記事になりますが、
奨学金を返済できずに、自己破産してしまった人が、過去5年間に延べ1万5,000人になったとの報道がありました。

奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる:朝日新聞デジタル
■奨学金破産 国の奨学金を返せず自己破産するケースが、借りた本人だけでなく親族にも広がっている。過去5年間の自己破産は延べ1万5千人で、半分近くが親や親戚ら保証人だった。奨学金制度を担う日本学生支援機…

奨学金の返済に苦しむ若者の増加

奨学金の返済がきっかけで多重債務に陥ったり、連帯保証人である親や親戚ともども連鎖破産した、などの話しがあり、全国的にも、奨学金をめぐる金銭トラブルが問題となっています。

未来ある若者が、経済的に支援する目的の奨学金で、
金銭トラブルに陥ってしまう現状は、本末転倒だと痛感します。

 

そんな自身の経験から、
奨学金の在り方についても、なんだかモヤモヤした感じを
ずっと引きずってきました。

 

 

自分は人生で出会ったたくさんの人に助けられ、
学ぶ機会、多様な人と繋がる機会を得て、
ここまで来ました。
ラッキーが重なったとしかいいようがありません。

 


人生の恩師たちに出会えなかったら、
自分の人生はもっと違ったものになっていたかもしれません。

 

今の自分ができることはなんだろう?
恩返しできることはないだろうか?
そんな中で、


どんな境遇の子どもにも
学んだり、
人と繋がれる場所が
提供される社会

経済的に困窮している子どもたちにも
教育を受ける機会が
与えられる社会

そんな日常に実現したい、という想いが自分の中で大きくなっていきました。

お金のあるなしではない、
お金に縛られない

自分が
信頼とお金をきちんと稼ぎ、貯蓄し

それを循環させ、若者が学べるような日常をつくる!

そんなことを考えるようになってきました。

 

長女が不登校に!17年勤務した水戸市役所を退職

 

大学院修了後、就職した水戸市役所での仕事は、大変やりがいのあるものでした。土木技術職としての採用でしたが、事務職・技術職の枠を超えて、行政施策、公民連携、都市経営課題などについて積極的に学びました。3人の子育てをしながらフルタイムでの労働。とても働きやすく、仕事内容も充実したものでしたが、時には、設計書の提出が間に合わず、夜中の2時、3時まで残業することもざらにありました。ピラミッド組織で働くことへの疑問感。そんな多忙な毎日の中、最愛の長女が、中学校にいけなくなる、という事態に遭遇することとなります。彼女の不登校・引きこもり生活は、中1の1学期から中学全部、高校2年くらいまで、その後、4年間弱、続きました。

 

葛藤する長女と、うろたえる父母。はじめのうちは、何度も取っ組み合いのケンカを繰り返しました。首に縄を付けてでも学校に連れて行かなくては。あせる自分。自分の子供が不登校、、、何故?どうして?母親である自分の責任も感じました。当時は、県やら教育委員会や民間やら大学の研究室やら、たくさんの機関にいきましたが、ほんとうの意味で親身になってくれる場所に出会うことはできませんでした。

 

不登校・ひここもりが2年間続いたとき、17年勤務した市役所を退職しました。

当時FBにアップした文章を以下にコピペします。

もう不登校2年になる長女。彼女にとって学校へいかないことは,むしろ健全なことじゃないかと最近母は思っています。市役所を退職して,彼女との時間が増えました。彼女の人生は彼女の人生,母の人生は母の人生。敬意を払っていまは一緒に日常をすごすこと。彼女が不安定になることもありますが,きっと支える。人生を自分で選択できるよう,色々なものを一緒にみたり,学んだり,体験したりしたいと思います。未来なんてどうなるかわからない。たくさん笑っていこう。手放すことでみえてくるものもあると思うのです。気を使わずに流れにのっていきたいと思います。

まだ闇はつづいています、が少しづつ。

 

当時の自分は、こんな闇がいつまで続くのか、、、、と何度も何度も思い悩み自問自答する日々でした。

 

 

そんな中「明けない夜はない。目の前にいる子を信じること。」と、何人かの経験者のお母さんにアドバイスを受けました。
当時は内心「そんなの嘘だ、、、、。」と思ってました。


「明けない夜はない。目の前にいる子を信じること。」


たくさん失敗を繰り返してきましたが、なんとか今があります。今、娘は生きています!これもたくさんの方との出会いがあったおかげであり、本当に本当にラッキーなことでした。

人生、生きているだけで丸儲けです。

 

 

多様性が日常の豊かさになる世界を実現したい!

そんな経験をしてきた、自分の想いを以下に記します。

不登校の居場所つくりというけど、不登校や引きこもりの子だけを集めた居場所は、個人的にはいらないと思っています。不登校や引きこもりにも、色々なタイプがあって、行かないと選択する子もいれば、もう、どうしても行けない、生きるか、死ぬかの場合もあるのです。そして、その中間ももちろん。時の経過と共にその段階も様々。だから、不登校や引きこもりの子供だけを、集めて第2の学校もどきをつくるのではなく、それも個性の一つであると自然に受け入れて、信じて見立てて待つこと、それができる大人(子供も)が集まる、継続的に受け入れてくれる社会みたいな、大きな水が流れるみたいな流動的な場所が必要であると思っています。決して今までの価値観に縛られない。おそらく、その子それぞれ段階に応じて、信じ待ち、視野を広くしてくれる世界。その子のタイミングに応じて、多様な考え方があることに触れられる居場所。それはもちろん、リアルだけではなくオンラインの中にも存在します。だからね、決して、不登校や引きこもりを救おうと声高く叫んで固定して隔離するのではなく、かといって誰でも参加OKな場所でもないんだと思っているのです。
<不登校についての関連記事①>
不登校のほとんどがフリースクールに通わない3つの理由https://dot.asahi.com/dot/2017062100075.html?page=1&fbclid=IwAR3kYIuHVqv8NeBIbljL0GuBGgkpSORLD2IiS-zYT3BCsrjlFsGDswYTQqQ
<不登校についての関連記事>
不登校のその先を考えてほしい。
行くのも地獄、行かないのも地獄https://www.nhk.or.jp/d-navi/2020/article_29.html
自分の娘からも、上記の記事と同じ言葉
「自分は不登校だから、脳が退化して大人になれない。ずっと子供のままだ。」
といわれた衝撃を今も覚えています。
そして、
不登校や引きこもりのために何か特別な学校ををつくるとか、在日外国人のために何か特別な施設をつくるとか、そういうことよりは、社会全体がそういった、個性やある種の障壁を含めて、普通に、ごく普通に扱うことができる社会をつくることのほうが、よほど低コストであり自然なことだと思うのです。そうゆう助けは専門的な知識がないとできないと思われがちですが、あながちそんなことないのです。目の前に困っている人がいれば、身近な人が目の前の困っている人に手を差し伸べることができる社会。もっと、常識にとらわれないひとが集まる居場所が、身近にある必要であると感じています。それはリアルにおいても、ネット上においても。そうゆうところにこそ、未来の輝く人たちが集まる、水の流れのような、継続的な新しい活動や経済が必要だと思うのです。そのうえで、自立した人が育つ土壌が広がっていく。そう、不登校は問題行動ではない。その子にとっては自然なことなのだと。多様性が日常の豊かさになる世界を実現したい!

 

 

多様性が日常の豊かさになる世界を実現したい!

 

 

現在はそのような目的をもち、多様な人が集まるサードプレイス
趣味を通してまちと繋がる「スナックちよ子」
というコミュニティスペースを、水戸市泉町の登利庄ビルで経営し、場作りの実践中でおります。

<関連記事>
趣味を通してまちと繋がる「スナッちよ子」
https://m-area-ameba.info/snack-chiyoko/

 

 

 

 

そして、自分が最終的目指すのは
多様性が日常の豊かさとなる世界を実現することです!

そのために
新しい多様な価値観をもった人がアメーバのように繋がれる
私塾+日本語学校+フリースクール+学習塾が一緒になった学校
を作ります!!

教育の素人のおまえに何ができる!!!
という声が聞こえてきそうですが、
素人だからこそできる世界、
できる挑戦があると思っています。

日本の教育は「学校の中」に限定されていて、
家を含めた「
学校の外」の教育を
「社会資源」としてもう一度
捉えなおす必要がある!
のではないでしょうか?

 

今、知識はネットなどで調べれば得られる時代。
だから、知識だけをガリガリ教える今の学習塾には魅力を全く感じません。ぶっ飛んだ新しい価値観とか、本物の音、感情とか、世界を体験することとか、お金と信頼についての経験とか、未来を信じて待ち続けてくれる人との繋がりとか、が大切だと痛感しています。

まだまだ、以前からの入試制度に縛られる面があるかと思いますが、知識と一緒に、そんなファンキーな人に出会える場づくり、多様性が内包される場、世界を、身近な場所(リアルも、ネット上も)が必要であると痛感している毎日です。

 

今の自分があるのは、今まで繋がってきた、たくさんの人達、恩人たちのおかげです。
だからこそ、そのような多様性が内包されるような、たくさんの新しい価値観をもった人が繋がれるような学校を、自分の長女のような子ども達のために、作りたいと思っています。

 

20年、30年先の未来、知識は、AIが代用していく社会。

これからの未来は、ガリガリ勉強していい有名大学に入ったり、時間を費やし資格の勉強をして知識を蓄積することよりも、

どんな人と繋がっているか、自分の視野を広げてくれる世界をどのくらい持っているか、がとても重要になってくるでしょう。

 

私たちは、今までの社会のように異質なものを排除するのではなく、内包していく必要があると思うのです。多様性な価値観の人達が繋がっていくこと。自分とは異なるルーツ、考え方、思想、経験を受け入れ、取り入れ、組み合わせて構築しなおしていくこと。そして、未来をつくっていく子供達には、平等に学んだり、人と繋がれる場所が提供される社会が必要であると思うのです。

 

既存の価値観をぶっ壊し、多様性を未来の当たり前にすること。
多様な価値観の人を受け入れ、繋がっていくことで、自分のアタマで考え、自分の人生を切り開いていくことができるようになる

それこそが、日本に、そして世界にイノベーションをおこすために大切なことだと確信しています。

 

以下に、もりちゃんの想い簡単にまとめます!

 

●家を含めた「学校の外」の教育の場を、もう一度「社会資源」として捉えなそう!

●信頼とお金をきちんと稼ぎ、貯蓄しそれを循環させ、若者が学べるような日常をつくる!

●多様性が日常の豊かさになる社会を実現したい!

●大事にしていることは、目の前にいる人をきちんと見て、未来の可能性を信じること。どんな人も継続的に受け入れる社会、決して特別ではない日常の仕組みを広めていきたい。

新しい多様な価値観をもった人がアメーバのように繋がれる
私塾+日本語学校+フリースクール+学習塾が一緒になった学校
を作ります!!

●既存の価値観をぶっ壊し、多様性が日常の豊かさとなる世界を実現すること。多様な価値観の人を受け入れ、繋がっていくことで、自分のアタマで考え、自分の人生を切り開いていくことができるようになる

 

☆彡☆彡☆彡

そして、モットーは
「根拠なく、上機嫌、いい気分で今を生きること!」
「笑顔でそこにいるだけで周りの人を元気にしていくこと」
「想いやりは想像力&創造力」

☆彡☆彡☆彡

 

 

以上、シンプルなプロフィールでしたw

何卒よろしくお願いいたします。

あっそうそう、
ちなみに趣味は、硬式テニスとお酒を飲むことです。

 

(なお詳細なプロフィールについては現在作成中です!)
中田さんと森
*写真は、中田敦彦講演会in水戸2018の時のもの。

ブログからこんな情報を発信していきます☆

 

多様性が日常の豊かさとなるような世界
実現するため、

地域情報、場作り、新しい働き方、小商い、
コミュニティ、学びの場について考え、
実践、発信していきます!!

 

サーカスサーカスのスタッフをやった時の写真! サーカススタッフ風景
中田敦彦講演会in水戸スタッフをしてくださった方々と!
中田さん講演会スタッフ

 

みなさまどうぞ、応援よろしくお願いいたします!!

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